家出のすすめを英訳したい

『家出のすすめ』 寺山修司 - 古本ひばり堂 | Disney characters ...

寺山修司の「家出のすすめ」を読んだ。

この本を手に取ったのはたまたまで、断捨離した後の父の本棚にあったこの薄い文庫本のタイトルが目に留まったのだ。

ちょうど、「子別れレッスン」という本を読み終わったばかりだった。

私は今大学生で、23歳で、(親の思う)本来なら去年卒業して就職しているはずだったのだが、どうしても留学に行きたくて1年卒業を遅らせて海外に行ったので、この年でもまだ親の脛をかじっている。(言うて留学費用は自分で奨学金を獲って賄った)(言うて浪人していたら同じ年で卒業だし。周りは大学院に進んでいる人も多いし)

ずっと東京に住んでいて、大学も東京で、実家暮らしで、高っかい私学の学費を払ってもらっていて、私はまだ経済的には自立しておらず、親に頼って生活している。

けれど、私ももういっぱしの成人女性だ。てか、成人してから3年も経ってる。大抵、いやほとんどのことは自分でできるし、学費と生活費以外はバイトで稼いだお金でやりくりしているし、クレジットカードだって持ってるし、ローンも組めるし、脱毛だってローン組んで払ったし(途中で効果に不満になって解約したけど)、吸わないけど煙草も吸えるしお酒も飲んでるし、ちゃんとコントロールして潰れたことないし、競馬だってできる。

海外で1年間一人暮らしもできた。全部一人でやった。助けを借りるという行為も一人でやったという意味ね。もちろん親以外から。

しかしその23歳成人女性に対して、親の過保護が過ぎるんでないか、と思うことが多い。遊びに行くときも、「どこの誰と、どこで、何時まで」を詳しく言わなきゃいけなかったり、旅行に行くなら旅程と泊まるホテルを報告し、毎日連絡をよこさなきゃいけなかったり。大学の友達だよ~、じゃ不十分。大学の、何の、どんな友達かまで聞かれる。周りに聞いても、そこまでされてる友達はほとんどいない。

一応、門限は22時ということになっている。大学4年生でこれはない。まあどこにいるかとか何時に帰るとか事前に連絡すればいつ帰ってきてもいいということにもなっているけど。

そういう色んな約束事を私が嫌がったり拒否しようとすると、父はたいてい「お前は女だから」「女の子なんだから」「危ないから」という決まり文句を最初か最後につけて反対してくる。弟にはないルールも私にはある。それも嫌だった。

そもそも、大学受験の時だって、女なんだから絶対一人暮らしはダメ。地方は絶対ダメ。って言って地方は受けさせてくれなかった…と言っても私は「私みたいなポンコツが一人暮らしできるわけない」と思ってしまっていたのでそんな考えもなかったのだが…でもそれも親からの「あんたに一人暮らしさせるの心配」「できるわけない」という認識とか刷り込みによって、自分でもそう思ってしまったんじゃないか…なんても思う。

また、第一志望の国立大に落ちたので浪人したいと言ったら、それも絶対ダメ。女なのに浪人なんてするな、する必要ない、と。婚期が遅れるとか女が学歴高くたって結局結婚したら意味ないとかそういう考えのもとだった。それに滑り止めでも良い私立に受かったんだからいいじゃないか、と。また来年受けてもそこにも受かる保証はないんだぞ、次は落ちるかもしれないんだぞ、1年勉強したって分からないんだぞ…浪人なんてやめとけ、絶対早稲田に入った方がいい…それで流された私も私なのだが。意志が弱かった。今思うと、でも、なんであのとき「いや、私ならできるし!」って自分を信じてあげられなかったんだろう…って思う。

ちょっと話がずれたが、私が今強く感じている親からの過干渉・過保護と不自由さ、自立への阻害と男女差別は、大学生活が始まる前にその兆候を見せ始めていたのだな、と振り返って気づくに至った。不思議なのは、高校生までは全くそんなこと微塵も感じたことがなかったことだ。中学受験もしたが、提案は母からだったものの自分で受けたい!と言って楽しくやってたし、入学後も中高は部活一筋で家にもあまりいなかったし、大学受験時も志望先は自分で決めて(地方はダメ、ということ以外)親はあんまり干渉しなかった…ただこれらも、全部親の想定内、見える範囲でのことだから安心して何も言ってこなかったのだろう。ずっと成績優秀だったので、それに見合う志望先を選んだだけだったし。

 

私は大学生活が始まって自由が広がった分、自由を制限しようとする親の過保護さが目に付くようになり、最近は特に、自分の思う自立した大人としての行動を親によって制止されることが重なったため、親の過干渉(や性別による固定観念等の押し付け)から逃れたい、早く自立したい、、、という思いがいっそう強くなった。

しかし、まだ経済的には自立できていないから親に従うのは当然のことなのだろうか。精神的に自立していても、経済的にも自立していなければ、親の過干渉に文句を言う資格はないのだろうか。いつになったら自立なのだろうか。

自分の親と私のどちらが正しいのか、どこまで自分を正当化していいのか、それが知りたくて手に取ったのが「子別れレッスン」だった。

 

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そこに書かれていた目から鱗の言葉の数々!そもそも、子育てとは子供を一人で生きていけるようにすることで、その能力が備わったらもう子育ては終了だという。確かに、でも考えてみれば当然だ。とすれば、私への子育てはもう終わっている。確かにまだ学費と生活費は頼っているが、もう働いて稼げる年齢だし、精神的にはとっくに自立している。今は、一個の大人として、お金を稼いで返すまで家を間借りさせてもらい、学費を肩代わりしてもらっている状態と考えればよい。すでに一人で生きていける能力はついている。(学部から直接大学院まで行く人は、学部卒業後に自分で働いて学費を稼ぐのでもいいが、それよりも先に親に肩代わりしてもらって後で返す方が効率がいいからそうしているのだろう…。)

面白かったのは、「子どもは、母体の一種の腫瘍として生まれてくる」という言葉。即ち母体の一部。母体とへその緒で繋がっているうちは、常に必要なものは自動的に送られてくるので「不満」ということがない。しかしひとたびへその緒が切れ子宮から出て別個体となれば、今まで満たされていたもの、在ったものがなくなる。母乳を求める。空腹を満たすものを求める。「不在」を求めて、その今までふさがれていた口という穴から言葉が出てくる。逆に言えば、母と一体となっているとき、「不在」がないとき、言葉はいらない。母と子が密着しすぎている状態というのは、欲求がない、つまり涅槃の状態で、それはまだ生まれてない状態すなわち死を意味する……とか。親が子供の人生に選択にすべて介入している状態などがこれにあたるのではないかと思う。子供は自分の人生を生きていない、まだ生まれてない。自分の人生を生きて初めて自分として生きることになる。

 

他にも、明治維新により西洋的な性差別の考えが流入し、封建制帝国主義と結びついたために日本に置ける家父長的な父のイメージが作られた、とか。家父長制はヨーロッパからの輸入物だとか。

「家庭とは、本質的には子育ての場所」とか。すなわちリプロダクションの場所で、本来「性」に満ち溢れている場所である…しかし現代はその存在を隠すようにしており、そのため不十分で不適切な性教育が、青少年やその後の年代における様々な社会問題の根本原因として作用している…とか。

 

とまあ他にも面白いことが色々書かれていたのだが、ともかく私はもう子供ではなく、親とは違う一個の人間であり、経済的に支えてもらっていても私の人生の選択を決められはしない、と書いてみれば至極当たり前のことが分かった。また、子育てが終われば、元々一人の男と女であった両親にとって私は邪魔な存在である、というのもすごく納得したので、できるだけ早く出ていこう、と思った。結局、人は一人で生まれて一人で死ぬ。究極には現代人は寂しさを抱えながら「個」として生きるのだと本には書いてあって、親と子が一体化して境界線が分からなくなっているような状態は、未だ近代的価値観から抜け出せていない、ということだ。

 

さて、うちの親は、うすうす勘付いていはいたが、まさに近代的価値観の家族である。以前父と言い争いをした時に、「お前の責任は俺にある」とか「お前に旦那ができてそいつがお前の責任とれるなら俺は何も言わない」だとか言われたので、ありえない、と友人に愚痴ったことがある。友人には、あなたの親は子供を支配・所有するものだと思っているんだね、別人格の人間として認識していない、と指摘され、そのときはあまりピンと来てはいなかったのだが、その通りであった。私は父の男尊女卑思想にムカついていて愚痴ったのだが、それもそもそも家父長制、「家」思想からくるものだ。

父は、典型的な「家」信者である。お父さんが絶対で一家の大黒柱で家族を守り、お母さんがお父さんを支えて家を守り、子供たちは親の言うことに従う。男は男らしく、強くあり、戦い、女を守り、女は女らしく、おしとやかで、美しく、家事ができて、男に守られるのが良くて、妻は旦那を立てるべし。小さいころから父のそういう思想の元で育ってきた。正統な主義と少し違うかもしれないのは、淑やかさも求められたが、女の子も元気に、お転婆なくらいがよい、といって弟たちとも同様に色んな冒険をさせてくれたところだろう…だがそれも、「女の子」であるときまでで、「女」になる時期には、何かと前者の方を身につけるように言われることが多くなったのだな、と思う。

父、また親戚一同(しかも数が多い)のこういった家思想は、つまり元は祖父からド直流に受け継がれてきており、私はそれに少し違和感は持ちつつもあまり疑問を持たないで、身内の中で、すなわち「家」の中でそれなりに楽しく暮らしてきた。しかし今ようやく、この一族を覆いつくすしがらみの正体が封建的な家制度であることを自覚した。そして、このままでは私が人生において彼らの許容(想定)範囲外の選択をするときにはかならず干渉され、引き留められ、最悪妨害もされるかもしれない(それは言い過ぎ?)、という未来が見えてきた。私が自我をもった真の個人として生きるためには、この「家」から出てゆかなければ始まらないのではないか…?

 

といった考えがまさに頭をもたげてきた時期だった。まさか、「家出のすすめ」なんて本を父の本棚で見つけるとは。

 

手に取ってみたらなんともまあ、まさに家父長制による不利益を一身に被ったような、赤いべべ着て放心状態のおかっぱの娘が表紙に描かれているではないか…!

 

この時点ですでに面白い。

 

そのとき、部屋の模様替えにより本棚の本を一掃したあとだったので、残っていたのは厳選されたものということになる。

「え、これどうしたの」と聞くと、父は「あ~、、多分面白いやつだな、読んで面白かったものしか残してないから。」と言った。しかし中身はそこまで覚えていないらしい。

 

最後のページをチェックすると、「昭和四十七年三月二十五日 初版発行」と書いてある。実に50年近く前の本ということになる。

もうずっと前から、「家」を出るべきだということは提唱(?)されていたのだ!

まあ明治維新による日本人の近代的自己形成は不完全だと言われているからそりゃ昭和でも言われているか。

タイトルと表紙と本の年季から、私は直感的にこの本が今私の求めているものを扱っていることを理解し、すぐに読み始めた……………

 

非常に長くなってしまったが、これが私が「家出のすすめ」を読み始め、感銘を受けるまでのバックグラウンドである。読んだ本が次の本を呼んだ(ダジャレではない)、とも形容できる現象に私は不思議な運命を感じている。

いま、「家出のすすめ」を読み終わり、私は寺山修司自体にも興味を持ち始めている。次は「書を捨てよ、街へ出よう」を読もうと思っている。

つまり、とても面白かった。面白すぎて、その面白さを誰かに共有したかった。それを、なんだか、なぜだか、外国人に共有したくなったのだ。親しい人が外国人ということもある。でも彼だけじゃなくて…不特定多数の英語話者に。たぶん、この、これを、今の日本にも残るこの「家」ってものを…英語ではどう伝えるんだろう、と考えてそこに試行錯誤してみたくなったのだ。

ぱっと検索してみたが、「家出のすすめ」の英訳版は見つからなかった。英語版WikipediaのShuji Terayamaのページにも、”Iede no susume"とかおそらく英訳してみれば”Encouragement of running away from home”となるところの説明はなく、どうやらこの本の存在は外国人には少なくとも簡単には知られない場所にあるようだった。あるにはあるのかもしれないが、私が軽く探した範囲に、「家出のすすめ」を英訳している者はいないように見えた!

これが英訳をやる醍醐味である。もし寺山修司にハマってしまった酔狂な外国人が、自分の国では手に入らないこの本の英訳をネットの海で見つけたらと考えるとロマンがある。そんな人はそうそう現れないだろう。だからこそ翻訳機も活用しながらの、素人翻訳でもいいだろう、と気負わずできるのです。

 

というわけで、本の頭から訳すのではなくて、私が面白いと思ったパートをランダムに、気が向いたときに訳して投稿する、という暇人の遊びを、自分に暇と興味がある限りはやってみようと思う。おそらく英語の勉強にもなるはずという魂胆もある。

 

本当はいきなり英訳を始めるつもりだったのに、始める前の事前説明をがっつりしたくなってしまう性分が円滑なスタートを邪魔してしまった。でも、自分の思考の変遷を言語化できたことでかなり達成感はあり、単なる自己満足であったが自分の中で区切りをつけて始められそうなので良かったと思う。

3日坊主にならないことを祈る。

 

追記、

結局、なぜ父がこの本を持っているのか、残しているのかは聞けていない。読んで思ったのは、かつても父は父の父つまり私の故祖父の考えに反発していて、若かりし頃に私のようにこの本を手に取ったのか、それとも昔から家思想だったが反対論者の意見にも興味があって読んだのか…という2パターンだが、、父に直接問い質し、さらに自分は寺山の意見に賛成する、という立場を表明する勇気は残念ながらまだない。